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ポール先生からのメッセージ

累計読者数: 1,453 *日本語訳 by ワイフ(英語の原文は、日本語訳の後にあります。) 英語の教育と聞いて、何を思いますか?将来良い仕事に就けること?テストで良い点数をとれること?それとも、果物に突き刺さったペン? 2003年に初めて日本にやってきて以来、日本で英語教育に携わること早6・7年、いろいろな日本人に、僕の母国語「英語」を教える機会がありました。今まで出会った人々の、英語を勉強する理由は様々でしたが、そんな彼らが英語に向き合う姿勢の中にはポジティブでないものも多かったなというのが印象です。 「英語は難しすぎる。」 「英語なんて日本で必要ないよ。」 「英語は楽しくない。」 そんな彼らの気持ちは、実は僕もよくわかります。僕の育ったアメリカ合衆国のテキサス州では、スペイン語の授業が必修でした。(日本人が英語の授業が必修なのと同じですね。) 振り返ってみると、スペイン語に関しては、僕も同じようなことを言っていました。 「スペイン語なんてアメリカでは役に立たないよ。」(x:スペイン語が役に立つ仕事は実はアメリカにはたくさん。) 「スペイン語は面白くないもん。」 学校では毎年先生が変わって、同じ内容や単語ばかりを繰り返し習わされていたのです。そのせいもあって、スペイン語の授業はつまらなくて意味のないもののように感じていました。 内容がつまらなかっただけではなく、中学生になると、僕の通っていた学校がスペイン語の先生を雇えないという理由で、授業がキャンセルになるという始末でした。 そんなこんなで、ネイティブスピーカーに直接スペイン語を習う機会がなかったこともあって、高校に上がるころには、スペイン語に対する興味はまったく失っていました。 でもいま、ひどく後悔しています。 実は僕の祖父母はスペイン語のネイティブスピーカーだったのです。 子供のころは、スペイン語と英語を自在に操り、時と場合によって言語を切り替えることのできる祖父母をみて、「すごいな~」と思ったものです。(特に祖母は、僕の母と英語で話をしていても、僕が近くを通ると、子供の僕に会話の内容がわからないように、スペイン語に切り替えたりしていたのを思い出します。) いろいろと思うことはありますが、スペイン語をまじめに勉強しなかったのは、やっぱり、スペイン語に興味を持てなかったということが最大の理由だと思います。 一方(1年半大学で習っただけの)僕の日本語は決して流暢ではありませんが、大学を卒業して久しくたった今も毎日使いますし、検定のために勉強も続けています。 日本語の音、それからなんといっても、一つ一つの文字に意味が込められた漢字が大好きです。 スペイン語とは対極的に、日本語を習得したいという気持ちは、初めてこの言葉に触れた時以来、ずっと消えずに残っています。13年たった今も変わりません。 大学で初めて日本語を勉強し始めたときは、将来会社に就職して、日本語を使う仕事をするんだと思っていました。それが10年前、JETプログラムを通じて日本の公立学校で英語の先生を経験した時に、僕の本当にやりたいことは、会社員ではないと気づきました。僕が本当に情熱を注げる天職は、「人に教えること」だったのです。 僕が英語を教えるときは、教わっている人が楽しいと思えることはもちろん、「英語は面白くて勉強し甲斐がある」と思ってもらえるように心がけています。 僕が日本語の勉強を面白いと思うように、日本人の皆さんと子供たちに英語は面白いと思ってほしいのです。そして、僕の教えた英語を、皆さんと子供たちの視野や行動範囲を広げるツールにしてほしいのです。 こんな僕だって日本語を喋れるんです。皆さんだって、英語が話せないわけがないです。 50年ぶりに東京でオリンピックが開催されます。 オリンピックの開催都市に2回以上選ばれた都市は、世界的に見てもあまりありません。実際、近代オリンピックが始まった1896年以降2回以上オリンピックを開催した都市は片手で数えられるほどです。 その5本の指に入る数少ない国のひとつに日本がなれたことは、とてもラッキーなことです。 そんな中、毎年外国人観光客数は増加の一途ですが、僕は多くの日本人が外国人を目の前にすると、勇気をもって英語で話しかけるのが苦手なことも知っています。 そんな苦手意識を、克服するお手伝いをしたいです。 この素敵な日本を世界に「見せる」だけではなくて、「説明する」ことができたら素敵ではないですか? え?僕のスペイン語ですか?ある日、日本人の生徒と一緒にスペイン語の授業を受けている僕を見かけることがあるかもしれません。そのころまでには祖父母のようにスペイン語を操れているといいですね。 勉強は生涯つづくものです。さあ、僕と一緒に勉強しませんか? ポール先生の英語メッセージ原文 What does English education mean to you? Does it mean a better job? Better test scores? An internet clip that goes viral over a couple pieces of fruit? Having worked in English education in Japan for several years, I have taught a range of Japanese people my native tongue since I first arrived here in 2003. I’ve noticed both the need and the varying motivations to learn English. Nevertheless, there always seem to be reservations: “English is too difficult.” “English isn’t useful in Japan.” “I just don’t enjoy English.” I sympathize with these feelings. Growing up in Texas in the United States, I was required to learn Spanish as a student (just like Japanese students are required to learn English). I said similar things when I was a student: “Spanish isn’t useful in America.” (False: many job opportunities are enhanced by speaking the language). “I just don’t enjoy Spanish.” I actually had a different teacher for every year I had Spanish. We learned the same basic sentences and vocabulary each year. It was so boring and seemed pointless. In my junior high school, the Spanish program was actually cancelled because they couldn’t even keep a Spanish teacher! By the time I got into high school, I had no motivation to learn and I […]

サピア・ウォーフの仮説とは?

累計読者数: 20,474 「サピア・ウォーフの仮説(Sapir–Whorf Hypothesis:さぴあうぉーふの仮説)」というのを、聞いたことはありますか?聞いたことがあっても、なくても、ちょっとここで、私の中途半端な言語学オタクっぷりを勝手に展開してしまおうかと思います。この仮説を聞いたことがあると、英語学習なり、言語学習に今までとちょっと違った光が差してくる気がするのです。 サピアとウォーフとは、二人の言語学者の名前で、とにかく私のお気に入りの仮説。言語的相対論(Linguistic Relativity)とかいう、ちょっと賢そうな名前までついた彼らの主張を少々雑にまとめると、「わたしたちの世界観・現実認識は、わたしたちの話している言語にものすごい影響されている」ということになります。 。。。 かなり雑なまとめ方をしてしまって、サピア先生とウォーフ先生にお叱りを受けそうですが、どういうことかがもう少しわかりやすいように、具体例をあげてみたい思います。 例1)前後左右、東西南北、だけが方向じゃない 現メキシコの先住民、ツェルタル族のことばには「右」「左」が存在しない。それじゃあどうやって方向について話すのかといえば、彼らは村の一番標高の高い場所を起点として、そこに近いほうを「高いほう」、遠いほうを「低いほう」と表現する。「それがどうした」と思われるかもしれないが、なにがすごいって、今までに行ったことのない赤の他人の家のなかで、山の頂上がみえなくても、真っ暗な部屋のなかで、ぐるぐる回転させられても、その部屋の床が平でも、どっちが「高いほう」だかわかるのだ。 参考(Linguistic Relativity: Evidence Across Languages and Cognitive Domains) 「へえ、どっちかというとサピアなんちゃらよりも、その実験で原住民がぐるぐる回転させられてる姿のほうが面白そうだけどね」なんて思ってる場合ではありませんよ。よく考えたら、この絶対的方向感覚は、すごい。「レベル:神」です!この人たちは、青木ヶ原の樹海とかでも普通に帰還できるということでしょうか? 「高いほう」「低いほう」というのがツェルタル語のボキャブラリーにあることで、それを操る話者のひとたちは、必然的に小さいときから訓練されて、研ぎ澄まされた方向感覚を習得しているのです。 まだあります、興味深い例。 例2)緑色が見えますか? このなかに、ひとつだけ違う色があります。どれだかすぐにわかりますか?(HTMLソースコードは見ないでください笑。答えは一番下。) 日本語話者や英語話者のひとたちは、すぐにはわからない人たちが大半です。じっくり見てもわからない人のほうが多いのではないのでしょうか?私の場合は、見れば見るほど、全部違う気がしてきました笑。 それほど微妙な色の違いしかないというのが私たちの感覚ですが、ナミビアに住むヒンバ族は、あっという間にどの緑が違うかわかってしまいます。 なぜでしょうか? 秘密は、ヒンバ族の言葉にある色のボキャブラリーにあります。実は彼らの話す言語では、上の例の一つだけ違う緑には、違う名前があるのです。 では次の具体例はどうですか? 別に馬鹿にしようってわけではないでんす!というのも、先ほどの「一見すごい色識別能力」をもったヒンバ族、こっちのほうは、なかなか識別できないんです! 彼らが青色を見つけられない理由は、そう、「青」と「緑」を表す言葉が一つしかないからです。私たちにはここまではっきり違う色の青と緑が同じ色に見えてしまうなんて、びっくりですよね。 言葉を話せない赤ちゃんに脳波計をつけて、さまざまな色を見せると、右脳だけが活発に動くのに対して、色とその名前を学習した子供に同じものを見せると、右脳と同時に言語処理に主に使用される左脳もかなり活発に活動するというのです。言語学って、こういう話を聞くとほんとわくわくしてしまいます。 興味のある方、ここでBBCのColour is in the eye of the beholder(色は見る人次第)という番組(英語)を視聴できます。 例3)1、2、の次は? 一、二、とくれば、次は三。そんなのは当たり前だと思ってませんか? それは日本語や英語では常識ですが、地球規模でみれば、実は必ずしもそうとは言えないのです。 ブラジルの先住民のピダハン族には、数を数える単語がありません。彼らは量を、「ちょっと」「まあまあ多い」「いっぱい」として数認識するのです。 なんという大雑把さ! テーブルの上に石ころを6つ並べて、ピダハン族に「同じように石を並べてください」と頼むと、彼らは5個並べたり7つ並べたりするそうです。 いい加減すぎる!! ショッピングに行って、自分は靴下を3足千円で買ったのに、その横でおじちゃんが別のお客さんには4足同じ値段で売っていたら、「ちょっと待った」ってなりますよね?母語のボキャブラリーに数が存在しないピダハン族はそんなことは気にしません。それってある意味幸せかもしれませんね。 (この本のなかで、ピダハン族のお母さんたちは、自分が何人子供を産んだのかわからない、と書かれています。一方、「何人」という数はわからないけれど、子供の名前も顔もきちんと認識していて、ひとりひとりを愛する気持ちは変わらないし、数なんて大事じゃないんだ、と素敵にまとめられていて、なんだか少し共感してしまいます。日本で「私子供何人いたっけ?」言った人がいたら、間違いなくげんこつをお見舞いされます笑。) ピダハン族については、キリスト教を布教にきた宣教師を無神論者にしてしまったなど、面白いエピソードがたくさんです。興味を持っていただけたら、ぜひ調べてみてください。 ここまで3つの具体例を見てきましたが、これらはサピア・ウォーフの仮説が具現化された例の一部です。日本語を話しているから、5と6は明らかに違う数だとわかるけれど、もし数字という概念がない言語を話していたら、私たちの世界観は、また違ったものになったでしょう。 こんなに明らかな例ではなくても、身近な例はたくさんあります。日本人の謙遜の心は、謙遜語を使用することで一層強くなりますし、英語を真に体得したときに、beautiful(美しい)ってこんな使い方をするんだと思う場面があって、あなたの美的感覚が変わるかもしれません。それから、英語等の言語と違って「はっきりとした未来時制(willに相当)」がない日本語の話者は、潜在的に未来のことを現実と同様にとらえるので、将来のために今お金を貯めたりするのが得意らしいですよ! ほら、こうやってみてみると、言語学習って奥が深いなと思いませんか? (一つだけ違う緑はどれ?の答えは、最後から二番目でした。わかりましたか?)

流行語大賞の『神ってる』を英語で!

累計読者数: 7,288 今年優勝した広島カープの、鈴木誠也選手の大好調っぷりを見て緒方監督が仰られた一言が「神ってる」だそうです。「神がかってる」の省略形なのでしょうか。個人的には、「なんだ『がか』が抜けただけか」と思うのですが、2016年の流行語大賞(Buzzword of the Year)にも選ばれました。特に新語という感じはしないけれど、確かに言いやすい。 さて、そんな「神ってる」という言葉ですが、英語で言うとどうなるでしょう?今回は「なんだか実態のつかめないすごい存在、神」の意味を失わないように訳してみました。 神がかるの英語訳には、blessed(神のご加護がついてる)といった訳も見かけられるんですが、なんか「神が乗り移った」(懸かった)的なパンチがないんですよね。 out of this world この世界の外にあるという意味で「この世のものじゃない」 His driving skills are out of this world: 「彼の運転テクニックは神懸っている」 otherworldly これも同じく他の世界に属すに相応しいという意味で「この世のものじゃない」 The way she manages to cook a 3 course meal in 15 minutes is otherworldly: 「彼女が15分で3皿コース料理を作る様子は神がかっている」 godlike / Jesus-like 「神様並みの」「キリスト並みな」 Jusus-likeは正式な単語ではなく(スラング)、軽い笑いを誘うかんじがあります。どんな能力に対してでも使えるというよりは、寛大さや愛の深さ、辛抱強さ等に関して「神がかっている」というニュアンスが多いです His level of patience is Jesus-like: 「彼の辛抱強さは神っている」 Her ability to speak 7 different languages is godlike: 「彼女の7か国語を操る能力は神っている」 (almost) magical 「魔法のようだ」 The animals’ ability to pick up on their owners’ emotional state is almost magical: 「動物の、飼い主の心理状態を察する能力は神懸っている」 on a roll 「神ってる」 連続して運がいいことが起こり続けること。「実態のつかめない、すごい存在」という意味は抜けてしまいますが、これが一番若者言葉としての「神ってる」の意味に近い? I’m on a roll, guys! I feel invincible today!: 「ちょ、俺神ってるよこれ!きょうは何をやってもうまくいく気がするわ」 おまけ) ちなみに、グーグル先生によりますと、「神がかってる」は、英語でI have bought God(私は神様を買いました)だそうです。 さすがグーグル先生は発想が斬新!神様買っちゃったよ! 神ってるをGod TteruとMU・RI・YA・RI訳す先生も好きだけど、買っちゃうとはね。 ・・・さいきん別の投稿でグーグル翻訳の進歩を褒めたばかりだったんだけどな。