Loading…

Speaking better English through Trying

累計読者数: 4,615  “I want to speak better English.”           – Yu Darvish, in Mesa, Arizona, USA (February 2019) his was one of the main points a Japanese baseball player told American news reporters last month in Arizona (southwestern part of America). For the first time in seven years, Yu Darvish came up to baseball reporters—alone—without any help from a Japanese interpreter and took questions all in English. (Pretty scary when you see all of the cameras filming you, I’m sure!) Happy March, everyone! Yes, baseball season is still a few weeks away. But since this news story popped up last week, I’d like to share it with you. For my non-baseball fan readers, Yu Darvish is a Japanese baseball player who pitched for the Nippon Ham Fighters from 2004 until 2011. The next year, he came to play in America, signing a contract with (my home team) the Texas Rangers. It was very exciting for us fans in Texas to get such a talented and famous player from Japan. I was so excited, in fact, that I went to his American debut game that same year. (See the picture I took from above home plate. His third batter was Ichiro Suzuki.) I have often wondered how a Japanese player does well in American baseball. Does he speak English? If he doesn’t, how does he survive working with people who don’t speak Japanese? How does he succeed with uncomfortable language struggles while also focusing on his work? I remember from the very beginning […]

Happy New Year, 2019!

累計読者数: 416         Recently, my wife asked me: “what are your New Year’s resolutions?” I hadn’t thought about it much, but I decided I should start writing more. I enjoy writing, but I just don’t make the time for it. So no more excuses! This New Year’s resolution: I’m going to write some blogs! How were your holidays (Christmas and New Year’s)? Ours were fun and eventful.     We bought a real Christmas tree. This was the first time we did it in Japan. Have you ever smelled a real Christmas tree? The smell is similar to a pine tree, but I think it’s a little bit sweet at the same time. When I smell this, it really feels like Christmas! When I was a kid in Texas, buying a real Christmas tree was very common. Every year, a large freight truck would drop off hundreds of trees in a large store parking lot. We looked at several trees. We would look at their height (it always had to be taller than any of us children), check their shape (some would have no branches on one side, so the shape could be odd), and then we would try to pull off needles from a branch. We always knew how dry the tree was if a lot of needles came off. If no needles or only a few came off, the tree would look nice and green until Christmas. If a lot came off, then you could […]

英語の勉強法:まじめな英語学習法レシピ

累計読者数: 865 私の主人(見た目ばっちりガイジン系アメリカ人)と英語で話しながら外を歩いていると、必ずと言っていいほど、こんな会話が耳に入ってきます。 俺まじ、中学のとき英語、ちゃんとべんきょうしておきゃよかったな~。 主人が日本語を理解できるという可能性はもとより、日本人である私のほうは、彼らに「英語の話せるナゾの非日系アジア人」として処理されているのか、私たちに会話がばっちり聞かれていることや、その会話がふと視界に入ってきたうちの主人のガイジンフェイスに起因することがバレバレであることなんてお構いなしに彼らは会話を続けます。 英語きらいだったし、俺あたま悪いから、手遅れだな! 主人にひとしきり、日本語の「手遅れ」の意味を説明したあと、私たちは思います。 「ちがうちがう、手遅れなんかじゃない!」 そう、手遅れなんかではありません。そんなふうに思っているひとをちょっと勇気づけるため、英語を話せる日本人を作るレシピ(英語の勉強法の説明書)を作ってみました! 材料 とつぜんですが、私は料理が好きではありません。そんな私が料理しなくちゃいけないとき、材料が多いと、もう床に突っ伏せたくなります。多いと気が散って、どこから手を付けていいかわからなくなるんです。それに材料が多いからって美味しくなるとは限りません。ということで、「英語が得意じゃない人も、材料(=英語の習得ステップ)が多いと凹んでしまうではないか」ということをお察しして、このショートな材料リストを捧げます。大切なのは、厳選素材をシンプルに、一生懸命じっくりコトコト煮込むことです!(一番いい学習方法は、効果的な勉強方法を選んで、ひたすら練習すること。) 明確な動機:大さじ5杯 発音の理解を深めるYouTube動画:3カップ 多聴のための音声とトランスクリプト:1キロ 薄っぺらの文法書(ワークブック):1束 英語を話す相手:5キロ(無い場合は「とてつもないイマジネーション」で代替可能ですが、味が落ちます) ちょっとの辛抱:250cc(無い場合は「とてつもないマイペースさ」で代替可能) 明確な動機 これはベタですが、外せません。どうして英語を話せるようになりたい・上達したいんですか?海外に転勤になったから?英語が大好きだから?(英語が大好きだというのは立派な動機。)それとも、ニューヨークでシェフになる夢があるから?タイトルどおり、「明確」でなくてはいけません。「英語の勉強は辛抱のいるものだから」ということ以外にも、動機が必要だと思う理由は、私自身、「英語」しかできることがないと思っていた時期があって、「とりあえず英文事務」や「とりあえず社内翻訳」をしていたことがあるのです。英語だけしか頑張ってこないと、一定の年齢になると人生の行き止まりに突き当たります。その当時も今も、外国語大学時代の友達が、ふと言い放った言葉が心に響きます。 通訳者には、なろうと思えばなれると思うけど、私は通訳される人になりたい。 よっちゃん(この名言の主)、このセリフ、カッコよすぎるよ!通訳される価値のある何かを持っている人は、単に英語が話せるだけの人より数倍かっこいい!ちょっと脱線しましたが、それでも英語が話せるようになりたいと思ったら、つぎの材料へ! 発音の理解を深めるYouTube動画 「発音」を2番目に挙げたのには理由があります。「発音できれば、聞き取りが100倍楽になる」からです。英語の学習に順序なんてつけられるものではありませんが、もし存在するとしたら、これはかなり初期に取り組むべき課題です。これはホントに重要!繰り返します: 発音できれば、聞き取りが100倍楽になるのです 「まず音が聞こえてから、その音を真似て発音するのが自然な順番」のようにも思えますが、ある一定の年齢を過ぎると、母国語にない音を聞き取るのはぐんと難しくなることは有名です。大人の私たちにとっては、その脳科学な壁を無理やり耳だけで乗り越えようするより、視覚と説明を使ってひとつひとつの音をどういう口の形、どういう下の形で出すのかということを理解してから、それを真似て発音するほうが、よっぽど簡単で効果的なのです。今考えると、学校の英語教育では発音にはほとんど時間を割いてはくれませんでした。そう考えると、英語が苦手な日本人が多いのも納得です。発音できないものは、聞き取りずらい。発音自体は完璧ではなくてもいいですが、「舌がどうなっている」とか「口の空き具合がどうなのか」等に注意してみてください。それが理解できると、聞き取るときに、どんな点に注意すべきなのかが明解になるのです。英語圏で子供に発音を教えるときに使う、「フォニックス(Phonics)」という有名な手法があるのですが、これが第二言語として英語を学習している大人の方にもおすすめです。ボーナスとして、これを学習することによって、初めて見る単語でも、なんとなくどんな風に発音されるのか予測できるようになります。子供に教えると、これを使って本を読めるようになったりして、学習能力の基礎になる素晴らしい手法です。中学生のとき、Mondayを「モンダーイ」と覚えていませんでしたか?そうやってスペルを覚えると、スペルを覚えるための音「モンダーイ」と本当の発音「マンデイ」の二通りを覚えなくてはいけないのです。なんという脳内スペースの無駄遣い!ここにひとつ、フォニックスを使用した発音レッスンの動画を貼っておくので、ぜひ参考にしてください。ここで、まとめると、「発音方法を理解して、音出しの練習をして、リスニングの能力を高めるための基礎作りをする」がステップ1です。 なかなか発音の仕方が理解できない音が出てきた場合は、[r pronunciation]など、問題のアルファベットとpronunciationを組み合わせて動画検索すると、詳しい発音解説が出てきます。ちなみに余談ですが、下の動画は、RとWの発音の違いを解説した動画です。LとRではなく、RとWです。そう、実はネイティブスピーカーにとっては、RとWはとても近い音なんです。よくアメリカ人の子どもがrabbit(うさぎ)と言おうとして「ワビット」と言っている姿を見かけます。かわいい! そんなわけで、私は発音が邪険にされすぎている日本の英語教育について、悲しく思います。本当は大事なのに!(ですので、うちのえいご学校では、とくに初級のレッスンでは発音に重点をおいてレッスンしています。) 多聴のための音声とトランスクリプト 多聴は避けては通れない英語学習の肝。言語学習はある程度インプットが必要ですが、読むより聴くほうが断然多くを短時間でインプットできるのがポイントのひとつ。だからステップ1で発音を学習し、きちんと音が聞こえるようになることが重要なのです。リスニングで聞こえない音は、耳だけで聞いて音を理解しようとするのは、至難の業です。余談ですが、まだ会ったことがない、従妹の旦那様が相当なおしゃべりならしいのですが、ぜひ日本語勉強中のうちの旦那とお会いして、いっぱい話しかけてほしい。「言語学習は、量だからね!」と冗談交じりに話したことがありますが、まじめな話、量が大切というのは不動の事実。 聞いて学ぶことの利点は、読むより速く多くインプットできることだけではありません。ネイティブスピーカーが読む・話すリズム、文の切れ目に注目することで、彼らがどのように文を切り分けて理解しているかということが分かるのです。文法や意味を理解したうえで聞けば、さらに記憶の強化に繋がります。 多聴等のインプットの過程で狙いたい主な効果は、たくさんの言い回しパターンを学ぶことと、それを繰り返し「経験する」こと。ただし、ただ聞いているだけでは効果は出ない。具体的にどうやって聞くのかという方法に関しては、次の項で見てみてください。 薄っぺらの文法書(ワークブック) 大人になってしまった、もしくは「臨界期」を過ぎてしまったみなさんが、残念ながら避けて通れないのが、文法とのバトル。臨界期を過ぎたあと、言語の自然習得能力と引き換えに論理的思考能力というやつを手に入れるわけですが、そいつを使うことが必要になります。うわぁ嫌だな…って思いましたか?だから文法書は薄いほうがいいのです。薄いぶん、「余計な」情報がなく、調べたいことが探しやすい。私は厚い文法書を持っていたことはありませんし、必要と思ったこともありません。文法書の役目は、文を作るうえでの基本的なルールを理解する助けとなってくれることだけ。それ以上の例外や、もっと詳しいことはインターネットで調べればいいのです。文法書は、「この部分をもっと理解したいから調べてみよう」という興味を促すきっかけになれば十分なのです。そもそも厚い文法書を好んで買うようなひとであれば、こんな記事も読んではいないですよね笑。 「たくさん売られている文法書のなかで、どれが一番がいいの?」と思う方もいるかもしれないですが、書店に売られている文法書で、そこまで間違いの多い文法書なんてありませんから、自分が気に入ったものを選ぶのが一番いいです。自分で書店に出向いて選ぶというのがミソです。おすすめをインターネットで調べて選んではいけません。自分で惚れ込んだ一冊を選んでください。とにかく薄くてやる気の起きそうな文法のワークブックを選んで、端から端まで読み・解きます。中高生が買うようなせいぜい150ページくらいのドリルで十分です。 たまに「文法なんて必要ない、日本語だって文法の理解なしで習得したじゃないか」ということを言う意見がありますが、大人の学習者である私たちにとって、それが本当である可能性は以下の2つの場合だけです。1)「あなたは稀にみる天才」、2)「あなたには稀に見る幸運さがあって、いい年した大人が話す拙い英語に付き合ってくれる、スーパー物好きで、お節介なお母さん的ネイティブスピーカーが周りにいる」。羨ましい限りですね。確かに一度話せるようになれば、みんな文法なんて考えて話してはいないのですが、話せるようになるまでは、ちょうど自転車の補助輪のような役目としてある程度の文法の理解が必要なのです。ネイティブスピーカーであっても、文法をきちんと習わなかったために、めちゃくちゃな話し方をしている人はたくさんいます。英語を使って、きちんと説得力のある話し方をしたいなら、そして内容のある会話を楽しみたいなら、やっぱりある程度の文法の勉強は必要と思うのです。 さて、話題を戻しまして、具体的にどうやって多聴するのか(方法)をご説明します。 トランスクリプト(音声の内容が書かれたもの)を目で追いながら聞く 意味がわからなかった文章に印をつける 文をSVOC(+M=副詞句・節)にわける わからなかった単語の意味を調べる 単語が分かってもどうしてそういう文の構成になるのかということがわからなかった文の文法を、「へぇー」とは「はー」とか言いながら、文法書とインターネットを使って調べて完全に理解する 声を出して読む セリフをすべて覚えるほど繰り返し聞く。シャドーイングする このプロセスでは、たくさんのパターンを「経験」することを目的とします。英語には、例外がたくさんあります。決まり文句もたくさんあります。話せるようになるための英語の勉強は、スポーツです。繰り返し同じ練習をすることが、とてつもなく大切なのです。 英語を話す相手 「聞き流したら話せるようになりました~」は・・・残念ながら、私の知る限り、嘘です。私の母国語は日本語ですが、アメリカに留学中、日本語を絶対話さないと決め込んで、数か月話さなかったことがあります。結果、話し方がぎこちなくなってしまいました。(母国語の場合は2、3日でもどります。)母国語でさえ、そうなのですから、話せたことのない外国語なら尚更。英語の勉強は、スポーツですので、ふつうの会話のスピードで話せるようになるまでは、やはり訓練が必要です。 私が高校生の時、英語の先生が、当時の私にとってはとても面白いと思うことを教えてくれました。「ボキャブラリーには2種類ある。文章に出てきたときに理解できる単語と、自分で使える単語の2種類だ」だそうです。英語を学習する動機や理由にもよりますが、話せるようになりたいと思っているなら、やはり話す機会は必要なのです。話しているうちに、知っているはずなのに思い出せない単語にぶち当たります。そういった発見も、大切な学習プロセスのひとつなのです。 ちょっとの辛抱(無い場合は「とてつもないマイペースさ」で代替可能) 言語学習はクラムチャウダーを粗目のザルでキャッチするようなものです。一回目は大きな具やスープの濃い部分だけザルの中に溜まるでしょうが、ちょっと間をおいてまたクラムチャウダーを流し込めば、一回目に流したクラムチャウダーがちょっと固まって、こびり付いて、ザルの目がちょっとだけ細かくなっていることでしょう。英語の学習も同じで、最初はほとんどキャッチできないし、先の長い道のりに感じられるでしょうが、二回目は一回目より多くの単語を聞ける、理解できる、となります。そうやってどんどんクラムチャウダーをザルの中に溜めていくかんじです。おかしな例ですが、まじめな話、感覚的には本当にこんなかんじです。辛抱づよく、ゆっくりと勉強することが大事なのです。がんばって、ゆっくり自分のペースでクラムチャウダーをザルキャッチしてください!これ書きながら、もっと素敵な例がないかと思いましたが・・・自分の腹の虫を責めます笑。 おまけ:英語(第二外国語)を学習するに際に一考しておきたい英単語(ボキャブラリー)のはなし 突然ですが、appleはりんごですか?pumpkinはかぼちゃなのでしょうか?アメリカで10年近く暮らしていたことのある私にとっては、appleとりんごと聞くと、ちょっと違ったイメージが頭に浮かびます。pumpkinとかぼちゃに至っては、かなり違います。appleはりんごよりもかなり小ぶりですし、pumpkinは皮がオレンジでかぼちゃより断然大きく、ナツメグなどのスパイスがかかった味を連想するのです。 このように直訳できる・できないを問わず、英単語と日本語訳の表す対象には多かれ少なかれ、違いがあります。見て触れる有形の名詞は違いに気が付きやすいのですが、無形の名詞や動詞・形容詞の違いはわかりにくい。どうしてこんなお話をするかというと、これに気づいているかいないかで、単語を勉強していて躓くことがあっても、どうやって対処したらいいのかが分かると思うからです。 たとえばhotという単語。日本語では、「暑い」という訳が一番すぐ思い浮かんだでしょうか?これを、hot=「暑い」と覚えていると、この同じ単語が「辛い」と訳されたとき、混乱してしまいます。一見まったく違うように思えるこの2つの訳ですが、じつは両方とも、体に起きる現象としては、同じなのです。辛い物を食べても、気温の高い部屋に入っても、体温があがって、hotと感じます。 ほかにも、appreciateという単語は「感謝する」と訳されることが一番多いかと思いますが、「良さがわかる」と訳されることもあります。たとえば、ピカソの抽象画をみて、ある人は「素晴らしい」と思うかもしれないですが、またある人は「こんなの5歳児でも描ける」と思うかもしれません。そういうときにappreciateという単語を使いますが、「良さがわかる」というのは「ありがたみがわかる」と基本的に意味であるとわかれば、どうしてこの2つの意味が同じ単語で表せるのかがわかるのです。 単語というのは、その話者が、この世の中に存在するもののなかで、何に注目して、何を重要と思い、どうやってこの世の中を切り分けるかを表しています。「一つの単語につき、いろいろな意味を覚えなくちゃいけないなんて面倒くさいな」または「効率のいい英単語の覚え方はないかな」と思ったときは、ちょっと視点を変えて、こうやって根底にある意味の共通点を探してみると、単語の勉強がぐんと楽に、そして面白くなるはずです。がんばってください!

サピア・ウォーフの仮説とは?

累計読者数: 20,475 「サピア・ウォーフの仮説(Sapir–Whorf Hypothesis:さぴあうぉーふの仮説)」というのを、聞いたことはありますか?聞いたことがあっても、なくても、ちょっとここで、私の中途半端な言語学オタクっぷりを勝手に展開してしまおうかと思います。この仮説を聞いたことがあると、英語学習なり、言語学習に今までとちょっと違った光が差してくる気がするのです。 サピアとウォーフとは、二人の言語学者の名前で、とにかく私のお気に入りの仮説。言語的相対論(Linguistic Relativity)とかいう、ちょっと賢そうな名前までついた彼らの主張を少々雑にまとめると、「わたしたちの世界観・現実認識は、わたしたちの話している言語にものすごい影響されている」ということになります。 。。。 かなり雑なまとめ方をしてしまって、サピア先生とウォーフ先生にお叱りを受けそうですが、どういうことかがもう少しわかりやすいように、具体例をあげてみたい思います。 例1)前後左右、東西南北、だけが方向じゃない 現メキシコの先住民、ツェルタル族のことばには「右」「左」が存在しない。それじゃあどうやって方向について話すのかといえば、彼らは村の一番標高の高い場所を起点として、そこに近いほうを「高いほう」、遠いほうを「低いほう」と表現する。「それがどうした」と思われるかもしれないが、なにがすごいって、今までに行ったことのない赤の他人の家のなかで、山の頂上がみえなくても、真っ暗な部屋のなかで、ぐるぐる回転させられても、その部屋の床が平でも、どっちが「高いほう」だかわかるのだ。 参考(Linguistic Relativity: Evidence Across Languages and Cognitive Domains) 「へえ、どっちかというとサピアなんちゃらよりも、その実験で原住民がぐるぐる回転させられてる姿のほうが面白そうだけどね」なんて思ってる場合ではありませんよ。よく考えたら、この絶対的方向感覚は、すごい。「レベル:神」です!この人たちは、青木ヶ原の樹海とかでも普通に帰還できるということでしょうか? 「高いほう」「低いほう」というのがツェルタル語のボキャブラリーにあることで、それを操る話者のひとたちは、必然的に小さいときから訓練されて、研ぎ澄まされた方向感覚を習得しているのです。 まだあります、興味深い例。 例2)緑色が見えますか? このなかに、ひとつだけ違う色があります。どれだかすぐにわかりますか?(HTMLソースコードは見ないでください笑。答えは一番下。) 日本語話者や英語話者のひとたちは、すぐにはわからない人たちが大半です。じっくり見てもわからない人のほうが多いのではないのでしょうか?私の場合は、見れば見るほど、全部違う気がしてきました笑。 それほど微妙な色の違いしかないというのが私たちの感覚ですが、ナミビアに住むヒンバ族は、あっという間にどの緑が違うかわかってしまいます。 なぜでしょうか? 秘密は、ヒンバ族の言葉にある色のボキャブラリーにあります。実は彼らの話す言語では、上の例の一つだけ違う緑には、違う名前があるのです。 では次の具体例はどうですか? 別に馬鹿にしようってわけではないでんす!というのも、先ほどの「一見すごい色識別能力」をもったヒンバ族、こっちのほうは、なかなか識別できないんです! 彼らが青色を見つけられない理由は、そう、「青」と「緑」を表す言葉が一つしかないからです。私たちにはここまではっきり違う色の青と緑が同じ色に見えてしまうなんて、びっくりですよね。 言葉を話せない赤ちゃんに脳波計をつけて、さまざまな色を見せると、右脳だけが活発に動くのに対して、色とその名前を学習した子供に同じものを見せると、右脳と同時に言語処理に主に使用される左脳もかなり活発に活動するというのです。言語学って、こういう話を聞くとほんとわくわくしてしまいます。 興味のある方、ここでBBCのColour is in the eye of the beholder(色は見る人次第)という番組(英語)を視聴できます。 例3)1、2、の次は? 一、二、とくれば、次は三。そんなのは当たり前だと思ってませんか? それは日本語や英語では常識ですが、地球規模でみれば、実は必ずしもそうとは言えないのです。 ブラジルの先住民のピダハン族には、数を数える単語がありません。彼らは量を、「ちょっと」「まあまあ多い」「いっぱい」として数認識するのです。 なんという大雑把さ! テーブルの上に石ころを6つ並べて、ピダハン族に「同じように石を並べてください」と頼むと、彼らは5個並べたり7つ並べたりするそうです。 いい加減すぎる!! ショッピングに行って、自分は靴下を3足千円で買ったのに、その横でおじちゃんが別のお客さんには4足同じ値段で売っていたら、「ちょっと待った」ってなりますよね?母語のボキャブラリーに数が存在しないピダハン族はそんなことは気にしません。それってある意味幸せかもしれませんね。 (この本のなかで、ピダハン族のお母さんたちは、自分が何人子供を産んだのかわからない、と書かれています。一方、「何人」という数はわからないけれど、子供の名前も顔もきちんと認識していて、ひとりひとりを愛する気持ちは変わらないし、数なんて大事じゃないんだ、と素敵にまとめられていて、なんだか少し共感してしまいます。日本で「私子供何人いたっけ?」言った人がいたら、間違いなくげんこつをお見舞いされます笑。) ピダハン族については、キリスト教を布教にきた宣教師を無神論者にしてしまったなど、面白いエピソードがたくさんです。興味を持っていただけたら、ぜひ調べてみてください。 ここまで3つの具体例を見てきましたが、これらはサピア・ウォーフの仮説が具現化された例の一部です。日本語を話しているから、5と6は明らかに違う数だとわかるけれど、もし数字という概念がない言語を話していたら、私たちの世界観は、また違ったものになったでしょう。 こんなに明らかな例ではなくても、身近な例はたくさんあります。日本人の謙遜の心は、謙遜語を使用することで一層強くなりますし、英語を真に体得したときに、beautiful(美しい)ってこんな使い方をするんだと思う場面があって、あなたの美的感覚が変わるかもしれません。それから、英語等の言語と違って「はっきりとした未来時制(willに相当)」がない日本語の話者は、潜在的に未来のことを現実と同様にとらえるので、将来のために今お金を貯めたりするのが得意らしいですよ! ほら、こうやってみてみると、言語学習って奥が深いなと思いませんか? (一つだけ違う緑はどれ?の答えは、最後から二番目でした。わかりましたか?)

ぶっちゃけ英語の勉強って必要なの?

累計読者数: 416 英会話スクールがこんなことを言うと怒られそうだが、結論から言うと、全員必要かと聞かれれば、「必要ではない」と思っている。ただしこれは、「但し書き」つきで、「英語の勉強は時代遅れか」と聞かれれば、「そんなことは全然ない」と胸を張って言える。 英語は全員には必要ではない理由) これは一番世の中で言われていることだが、「グローバリゼーションなんちゃら」とかいう横文字が溢れ、日本の大企業が英語を公用語にしたりといったニュースが大きく取り沙汰されて、なんとなくそんな雰囲気だが、実際のところ、英語なしで生活をしている人たちがたくさんいるということ。この傾向は今日明日で変わることではないと思われる ふたつめはAI(ディープラーニング)はすごいよ!ということ。時代が変わって、外国人とのコミュニケーションの必要性が高まることは間違いなさそうだが、英語が日本人の運命を分けるような時代がやってくる前に、AIの翻訳能力が断然に高くなると思う。もちろん今の時点での機械翻訳は、「ぷぷっ。機械のくせになかなかおもしろいことを言うじゃないか」と思うことが多々だが、今年になって、Googleが発表した新しい翻訳のアプローチをとっても、機械翻訳は格段に進化している。確かに日本語は機械翻訳が難しい部類に入るが、そういってあぐらをかいていると、私なんかの英語だって、機械にすぐ追い抜かされることになりかねないな、と思う 三つめは、ソフトな理由だが、「大人が必要というから」というのを、子供たちが英語に向き合う姿勢にしたくない、という思いがある。「必要だから」以外にも、英語を勉強する理由はたくさんあると思うのだ。「絶対必要とは言わないけど、こんな理由があるから勉強したくない?」といえる大人でいたい。英語信仰しすぎるのも本末転倒だと思っている。英語教育者や通訳者でないかぎり、英語はあくまでもツールだから、なにか伝えたい内容があって初めて活きるのが英語であるというのを忘れてはいけない。大学時代に、普段はあんぽんたんな事ばかり言っているスペイン語がペラペラの日本人の友達が「翻訳者にはなれるだろうけど、どっちかっていうと翻訳されるくらい価値のある人になりたい」って言っていたけど、いまでも忘れられないくらいかっこいいと思った言葉だ 英語の必要性・英語が学校教育の一部であるべき理由) 「英語は必要じゃない人のほうが多いんだから、学校教育から外そう」という議論が通ったなら、ほとんどの学問が消えてしまう。天文学だって、地学だって、古文だって、微分積分だっていらない人のほうが多い。だからといって誰も学ばなくなってしまうのは、ちょっと切ないし、人類のためにならない 語学に限ったことではないが、大人になってからでは学習能力も時間もなかなかなくなる。英語というツールがあるかないかによって、出くわす機会も人も変わってくる。どんな人と出くわすかだけではなく、その人とどんな関係を築けるかもそうだ。「英語だ、国際化だなどと言っているが、結局アメリカ化じゃないか」という議論もあるが、だからと言って英語教育に費やす時間を減らせと唱えるのはどうかと思う。残念ながら、アメリカ傾倒に警笛を鳴らす系の議論にはちょっと同意するところもあるが、そうやって議論を単に二極化させるんじゃなくて、英語もきちんと勉強して、そういう問題点も利点とともに見据えたうえで、ツールとしてどうやって使うかを考えながら使うのが、一番いいと思う。アメリカ時代、親切にしてくれた年の離れた友達に、大学に行かず水族館で働きたいという息子がいたが、「大学に行ってそれでも水族館で働きたければ働けばいい。ほかの仕事もできたけど水族館を選んだというのと、それしかできなかったから水族館で働いているというのはまったく違う人生の展望がちがってくる」と言っていたが、ちょうどそんなかんじだ。「選べる」という贅沢を、子供たちが将来持てるのはいいことだと思う。そんな可能性を秘めた「英語」教育の機会がみんなに平等にあることは、素敵なことだ どんなにAIが発達しても、機械翻訳では埋まらないニュアンスのギャップがある。そもそも訳せない概念がたくさんある。人間が人間らしくいるためには、やっぱり人間同士が直接話さなくてはならないと思う。外国語を話せると世界が広がる。使う言語が英語でなくてもいいけれど、英語で話したいと思ったら、ローンスターに来てね笑

英語が話せてよかったこと

累計読者数: 672 日本人の私が個人的に思う、「英語が話せてよかったこと」「得したこと」リスト!ちょっと「アメリカに住んでよかったこと」とも解釈できるものもありますが、そこはお手柔らかにお読みください笑。 気軽に海外に行ける。英語は世界語♪旅行は楽しいですよね! いろいろな人と話せる。日本人からは聞けない話や考え方がたくさん聞ける。インターネットによって現代人の考え方は似通ってきているにしろ、やっぱり違う国で育ったひと、暮らした人の話は変わってるなと思うのです。自分の偏見にはっと気が付かされたり、学ぶことがたくさん。 単純に、道に迷っている外国人観光客に話しかけて、「よかった!あなた英語話せるのね!」というほっとした顔をみたとき 両言語でインターネット検索ができる。エクセルの疑問なら日本語が断然いいけれど、デジタルマーケティングの情報は英語で検索したほうが断然ざくざく出てくるなど、トピックよって情報が豊富な言語があったりします。これがけっこう大きい!ちょっとやる気が出ないときに「カワウソ 画像」と”otter pictures”と2言語で検索すれば、日本語でしか見られないカワウソと英語でしか出てこないカワウソ画像が出てきて、単純なところもある私は2倍元気をもらえるわけです。 よく、日本を揶揄して「アメリカではこうだ」とか、アメリカに住んだこともないし、人づてでしか情報収集していない日本人が言っていることが嘘のことがたくさんある。そういう嘘に騙されなくてすむ。 住む場所が選べる。ノマドな自由人でいたいのです。 働く場所と仕事の内容が選べる。日本でやりたいことが見つからなければアメリカ行ってしまおうかなとか笑。 英語のコメディが100倍おもしろい。翻訳では訳しきることができないジョークが、原作の言語だと断然おもしろい! こういったところで、英語教育のお役にたてることをうれしく思います。小さい人(子供)たちの将来に、わくわくです。 これはもうちょっと間接的ですが、海外で暮らしたことによって、日本の良さがよくわかった。もちろん悪いところも見えるけれど、「隣の芝は青い」っていうやつだなと、自分で納得がいく。 これはちっちゃいですが、日本には面白い英語のTシャツがありすぎる!小さい笑いに日常的に出会えてほっこりする。ひとつ困ることは、「そのTシャツどこで買ったんですか?」とまじめな顔で聞く勇気がなかなか出ないこと。本気で欲しい。 いろいろと苦労して勉強して喋れるようになったという、ちょっとした達成感! 買い物の幅が広がる。インテリアグッズと洋服は断然アメリカのものが好きです。アメリカのものは質が悪いっていうひとがいますが、そんなこと全然ない! アメリカに行って本格的なエスニック料理が手ごろに食べられる。さすが移民大国で食べるアメリカのエスニック料理は、エキゾチックな味がして、食べるとわくわくします。さいきんのお気に入りは、ベネズエラとエチオピア料理。 たまに我が弟が、「お姉ちゃん日本語おかしい」といって笑ってくる。長期渡米のあと帰国して間もない間は、イントネーション等がちょっとおかしいらしいです。君が面白いと思ってくれるなら、うれしいよ、お姉ちゃんは笑。 まだこれは使用したことがないのですが、「日本語がわからない、なぞのアジア人のふり」をしてセールストークを逃れることができるかもしれないという可能性。